我が家もそうだ。妻も私もフルタイムで働いている。なのに、保育園からの「お子さん熱です」という電話は、なぜかいつも妻のスマホに鳴っていた。これはたまたまではない。日本中の家庭で同じことが起きている。今日はその「見えない偏り」を、数字で可視化する。
かつての日本は「夫は外で働き、妻は家を守る」という形が多かった。だが、それはもう過去の話だ。いま日本では、共働き世帯が専業主婦世帯の倍以上ある。にもかかわらず、家の中の役割分担だけが、昔のまま止まっている。これが問題の出発点だ。
妻の家事・育児時間は、夫の何倍か

総務省の調査によれば、6歳未満の子どもがいる家庭で、夫が家事・育児に使う時間は1日あたり2時間前後。一方、妻は7〜8時間に達する。共働きであっても、この差はほとんど縮まらない。つまり多くの妻は「外で働き、家でも働く」二重労働を担っている。これは精神論ではなく、統計が示す事実だ。
この偏りには名前がある。「セカンドシフト(第二の勤務)」だ。会社という第一の勤務を終えた女性が、帰宅後に家事・育児という第二の勤務に入る。一日に二回出勤しているようなものだ。これでは昇進を目指す余裕など生まれるはずがない。
「名もなき家事」という伏兵
さらに厄介なのが「名もなき家事」である。
トイレットペーパーの残量を気にして買い足す。子どもの予防接種の日程を覚えておく。保育園の提出書類に記入する。
一つひとつは小さい。だが、こうした「気づいて段取りする仕事」は膨大で、しかも多くが妻側に集中している。皿を洗うことより、こうした“管理業務”のほうが、実は心をすり減らす。
「手伝う」という言葉が、すでにおかしい
ここで私が一番ハッとしたのはこれだ。夫はよく「家事を手伝う」と言う。私も言っていた。だが、よく考えてほしい。「手伝う」とは、本来やるべき人が別にいて、自分はその補助だ、という意味だ。つまり「手伝う」と言った瞬間、家事は妻の仕事だと無意識に認めてしまっている。
家事も育児も、二人の共同責任だ。言葉づかいを変えるだけで、見える景色は変わる。
これは「気持ち」の問題ではない
「うちは夫婦仲が良いから大丈夫」と思うかもしれない。だが、これは愛情や努力で片づく話ではない。後の回で見るように、ここには社会の仕組みが深く関わっている。男性が長時間労働を前提に働かされ、家に帰れない。女性のほうが収入が低くなりがちで、「稼ぎの多い夫が仕事、妻が家庭」が“合理的”に見えてしまう。個人が悪いのではなく、構造がそう仕向けているのだ。
「共働き」の中身も、実は対等ではない
さらに掘ると、ひとくちに共働きと言っても中身が違う。日本では、妻はパートや非正規、夫は正社員、という組み合わせが非常に多い。つまり「二人で稼ぐ」とは名ばかりで、家計の主軸は夫、妻は補助、という構図が温存されている。
女性の働き方を年齢で追うと、結婚・出産の時期にいったん正社員から離れ、子育てが落ち着いてからパートで戻る、という形が目立つ。これを「L字カーブ」と呼ぶ。男性にはまず見られない形だ。働いてはいる。だが、対等ではない。
では、何を変えればいいのか
答えはシンプルだ。夫の側が家庭に入る余地を作ること。長時間労働を当たり前としない職場にすること。この二つがそろわなければ、妻の二重労働は永遠に終わらない。家事の偏りは、妻の頑張りが足りないからでも、夫の愛情が足りないからでもない。働き方と家庭の仕組みが、そう仕向けているだけだ。だから、精神論ではなく仕組みを変えるしかない。気合いで皿を洗う回数を競っても、根っこは変わらないのだ。
次回はその核心、「自分で選んだ」という思い込みに切り込む。多くの女性が「私が望んで仕事をセーブした」と言う。だが、その選択は本当に自由だったのか。次回、その正体を暴く。
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