「日本は子育て支援が手厚い」と聞いたことがある人は多いだろう。育休もある、児童手当もある、保育園もある。だが、実際に子育てをした親に聞けば、口をそろえてこう言う。「全然、足りない」。なぜ、制度はあるのに足りないのか。今日はそのカラクリを解く。
結論を先に言う。日本の子育て支援は「部品」はそろっているのに、「組み立て」が悪い。一つひとつの制度は存在する。だが、つなぎ目に穴があり、肝心なところで手が届かない。順番に見ていこう。
制度はあるが「使えない」
育児休業を例にとる。法律上、男性も育休を取れる。制度は立派だ。だが、実際に取る男性はまだ少数で、取れても数日〜数週間で職場に戻る例が多い。
なぜか。「取ったら出世に響く」「人手が足りず周りに迷惑がかかる」という空気があるからだ。
制度が紙の上にあっても、職場の空気がそれを使わせない。これを私は「絵に描いた権利」と呼びたい。
「小1の壁」という落とし穴
保育園に入れれば一安心、ではない。むしろ本当の試練は子どもが小学校に上がるときに来る。
保育園は夜まで預かってくれるが、小学校は昼過ぎに終わる。学童保育も定員や時間に限りがある。フルタイムで働く親にとって、放課後の数時間が突然“空白”になる。これが有名な「小1の壁」だ。
保育園を乗り越えた親が、ここで働き方の見直しを迫られる。支援が途中でプツリと切れているのだ。
お金の支援が「中途半端」
児童手当などの金銭支援もある。だが、子どもを育て、大学まで出す費用に対しては、心もとない額だ。
後の回で見る北欧やフランスは、教育費そのものを安く抑え、子どもを持っても家計が傾かない仕組みを国全体で作っている。日本は「少しだけ補助する」にとどまり、子育ての重い負担は依然として各家庭に乗ったままだ。
なぜ「足りない」まま放置されるのか

ここが構造の核心だ。子育て支援を本気で拡充するには、巨額の予算がいる。だが日本は長らく、社会保障の多くを高齢者向けに振り向けてきた。
子育て世代は人数が少なく、選挙での声も相対的に小さい。
声の大きいほうに予算が向かう。結果、子育て支援は「やってる感」は出すが、抜本的には変わらない。これは誰か一人の悪意ではない。仕組みがそうなっているのだ。
“ワンオペ育児”が生まれる仕組み

「あるのに足りない」を象徴するのが、いわゆる“ワンオペ育児”だ。
夫は長時間労働で家にいない。親類は遠方。地域のつながりも薄い。制度の隙間を、結局すべて母親一人が埋めることになる。保育園に預けても、送り迎え、急な発熱の呼び出し、夜の家事は母親に集中する。制度が支えるのは“日中の数時間”だけで、その前後の膨大な負担は個人に丸投げされている。
これでは、預け先の数を増やしても、根本は変わらない。
海外と日本の“発想”の差
次回から見る海外の国々は、ここで発想が違う。子育ては社会全体で担う仕事だと考え、税金を堂々と投じる。
日本は「子どもは親の責任」という意識が今も強い。だから支援も“親が困らない程度の手助け”にとどまり、負担の本体は家庭に残したままになる。
制度の量の問題に見えて、実は「子育ては誰の仕事か」という思想の問題なのだ。ここでも、最後に効いてくるのは制度ではなく“常識”である。
ここまでで、日本の足元の現状を3回かけて見てきた。家事の偏り、選択の不自由、制度の限界。では、世界の中で日本はどの位置にいるのか。次回は「118位」という数字の中身を、いよいよ解剖する。
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